キレイな部屋で暮らしたい(跡地)

跡地でもほっとくのアレなので超適当に日記書いたり書かなかったり
2017年10月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2017年12月
TOP大震災の事 ≫ 地震後3日目~6日目 街の状況

地震後3日目~6日目 街の状況

こんにちは、ピコです。
最近ようやく「○○したいなぁ」と思えるようになってきました。

とはいえ、その願望といえば「地震で落ちてしまった所の照明買いたいなぁ」とか「猫のキャリー置き場作りたいなぁ」とか、どうしても地震絡みなんですけどね。

ちなみに猫トイレ置き場は何とか完成させて使ってます。もっと早く作ってればよかったと軽く後悔するくらい快適です、今のところ。いつか記事にしたいと思いますー。

---

3日目から6日目までの話です。
主に実家に行ったり家に引きこもったり、外歩いたりしてました。
夫の職場は停電中なのでどうにもならず、自宅待機状態。

1日目・2日目は車の量(交通量)がやたら多かったのに、3日目あたりを境にガクンと減ったような気がしました。ここに来てガソリン不足の影響が一気に噴出したような、そんな感じ。最初の夜の車の量の多さというのも不安になったけど、交通量が減るというのも何だか不安になったものです。

家から見える景色はパッと見てそんなに被害が出てないんじゃないかと思ってしまうくらい(実際は違いますが)地震前とあんまり変わらない。つまり地震前の日常が続いているんじゃないのかと錯覚してしまうんですよね。現状から逃げたくて錯覚してしまうんだと思います。だから車の量が極端に少なくなると一気に現実を突き付けられるというか。上手く表現出来ないのだけど…。

そういえば夫の実家から戻る時、地震なんて無かったんじゃないかと思うくらい地震前の日常と何ら変わらない広大な田んぼの風景を見たんですよ。家帰ったら普通に電気つくんだよ水も出るんじゃないの、なんて冗談で言ってるはずなのに何か泣けてきちゃうんですよね。そして突然通行止めの道路に出くわし大きな段差に遭遇して現実に引き戻される、と。トドメに信号の消えてる交差点で緊急車両の怒号を聞いて現実を突き付けられると。(※私らが交通トラブル起こしたんじゃないのです、念のため。対向車2台のトラブルだったかと)

それにしても地震発生翌日から給水車や電気工事の車や水道工事の車、自衛隊の車など様々な災害復旧の車両を見る度に何とも形容のし難い気持ちになりました。感謝というだけでは足りないような、そんな気持ち。車に向かってお辞儀をしている人もいました。よく心が折れたりしていたけれど、いろんな方が頑張ってくれているんだから、大丈夫。頑張ろう。そんな希望にも繋がりました。


黙って家にいるのも気が滅入るので、実家に行かない日は散歩。散歩というとのんびりしたようなイメージなんですけど、実際はそんなもんじゃないんですけどね。どこの店が開いてるのか、現状を確認しに行くという感じ。というかね、家にいると寒いんですよね。歩いた方が温まる(ような気がする)んですよ。

改めて街中を見るとやっぱり被害が大きくて、あちこちに地割れが。電柱も倒れはしなくとも田んぼや畑の脇に立っているものは斜めの状態。瓦屋根は落ち、土壁は剥がれ、1階が車庫(もしくは店舗)の建物は歪んでいたり…。それと、川沿い(川の規模問わず)の被害が目立っていたような気がします。橋のたもとに大きな段差(地割れ)が生じている場所が多く、土手の舗装された道はあちこちヒビだらけ。

スーパーやコンビニは毎日開けているわけではないらしく、行列で確認するような感じ。やっているというか、店頭販売なんだけど。とはいえ、店頭販売に並んだのは1回だけ。ミネラルウォーターとチョコ買ったくらい。(水貰ったはいいものの、湯冷ましにして飲むのにも不自由する状態だったので)


避難所には翌日仮設トイレが設置され、次の日あたりに更に増設されました。というわけでそちらを利用。しかし去年のリフォーム時にあれだけ難儀した仮設トイレもこういう時はあまり抵抗無く使えるのが不思議…いや、むしろ一度経験しているから抵抗が少なくて済んだのだろうか。後日「紙は落とさず段ボールの中へ」という対策が為されたけど、これも夫の実家で見た光景だったので抵抗が少なくて済んだ。何事も経験か…?

ちなみに仮設トイレに長蛇の行列が出来るような光景は一度も見た事が無かったです。仮設トイレの数が多めだったおかげと、近隣では下水の整備が進みつつあっても水洗化していない家の方が多かったのが理由なのかなぁと。徒歩圏内に避難所があったおかげでトイレに関しては(あまり)頭を悩ませる事無く過ごせたはずだったんだけど、1週間くらい経った頃は夢の中でトイレの心配してましたよ…。(その話はまた後日)


実家に行った時は何をしていたかというと、母の代わりに市役所へ行って問い合わせ。いや電気が復旧しつつあったんだけど、近所で電気がついているけどウチはまだなの? と言うので市役所の話を聞けば気が済むかなと思って。まぁ気持ちは分かるんだけどね、そればっかりは仕方ないんだよ。

この辺も久し振りだなぁ…と歩いていると、古い街並みのせいかあちこち赤紙が…自分達の住んでいる地域と震度はほぼ同じくらいなはずなのに、被害はこちらの方がかなり大きく見えました。目を疑うような大きな地割れが出来ていたり、商店街の歩道はあちこち地割れや段差が出来ていたり。

それでも人通りは普段(かつて住んでいた頃の)よりも多くて、パン屋や八百屋などには行列が。電気の復旧と共に(通常営業は無理でも)店を開ける所が増えてきたみたいでした。よく言われてる事だけど、こういう時は個人商店の方が頑張って店を開けている事が多かったです。稀に「その値段はどうなのか」という弁当を売り出している所もあったけど。(色々事情があってその値段かな…とは思えないぞという、ね)

しかし消防車がけたたましくサイレンを鳴らし、ガソリン渋滞の中を縫うように走っている姿が印象的でした。その日は何度もサイレンの音を聞いた気がします。やっぱり電気が復旧した途端に…という事なんですよね。地震で停電したらブレーカーを落とす、大事です。(私も抜け落ちてて、実行したのは地震発生から数日後)

---

次回はライフラインが復旧するまで家でどう過ごしていたかの話です。
(相変わらずスローペースで申し訳ない)